各界からのコメント


『パーティーと招待客』へのコメント

周防正行(映画監督)

とりあえず歴史的、政治的に読み解くことを禁じてみよう。映っているのは「空気」だ。「空気」の映っている映画は面白い。ただし、見た者に問われるのは、その「空気」をどう吸って、どう吐くかだ。今という時代に。

 

 

松尾貴史(俳優)

冒頭ののどかなムードからは、20年もの長い間、国家によって鑑賞することを禁じられていた理由がわかりませんでした。知らず知らずの内、権力に迎合していくさまは恐怖ですが、この異国の作品の画面よりも私たちの住むこの国の方が深刻かもしれません。この作品は、50年も前にその事を示唆してくれていたのです

 

中条省平(学習院大学フランス語圏文化学科教授)

『パーティと招待客』は、東欧現代史の文脈のなかでは、チェコ共産党による全体主義支配への批判の映画といえるだろう。しかし、ここには、ルドルフ2世からカフカやチャペックに至る、奇想を愛するプラハ文化の血が脈々と流れている。単なる政治的風刺を超えて、人間存在の耐えがたい軽薄さ、集団ヒステリーの秘かな魅力を、嘲りつつも、楽しもうという強靭な想像力が働いている。さらに、この映画はシュルレアリスム的な悪夢の誘惑にもどっぷりと浸りながら、カフカとブニュエルの婚姻というべき境地に達している。この、底意地が悪く、ふざけのめした、しかし、この上なく魅力的な小傑作が、半世紀の歳月をものともせず、亡霊のように復活したことを心の底から祝福したい。


『愛の殉教者たち』へのコメント

岡田利規(演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰)

現実と妄想の区別がつかない。そのことが、だんだんどうでもよくなっていく。 自由を謳歌するように撮られ編集されたこの映画に、満たされなさの感覚が溢れてるのが、生々しい。絶望を前提にした生の、剥き出し感のゆえ? 時代も地域も超えて、基本的フィーリングがわたしたちと共振を起こす。

 

門間雄介(編集者/ライター)

古く窮屈な価値観と新しい自由な価値観の狭間で、恋愛遊戯をくり広げる3人の若者たち。ハットにステッキの正装で、男が指をくわえて眺めるのは、いち早く抑圧から逃れた女たちと、ジャズが渦巻く時代の息吹か。サイレント映画のようなルックに、ヌーヴェルヴァーグのみずみずしさが零れる。


『ひなぎく』へのコメント

小泉今日子(女優)

20年くらい前に、パリのfnacで見つけた「Daisies」のDVD。どこの映画か、なんの映画か、さっぱりわからなかったけれど、パッケージのデザインがポップでキュートで一目で気に入り、いわゆるジャケ買いをした。映画はお洒落で斬新で大好きな世界観。「すごい映画を見つけたよ!」と友達に貸しまくったことを覚えている。その数年後『ひなぎく』という邦題で日本のDVDショップにも並んだ。もちろん日本版も購入し何度も何度も見た映画。その頃、テレビの旅番組の企画があり、どこに行きたいかと聞かれた私は迷わず「チェコ!」と大きな声で答えた。企画は実現し、マリエみたいな1960年代風ファッションでチェコの街を私は歩いた。ヒティロヴァー監督がどんな気持ちであの映画を作ったのかを考えながら、侵略され続けた歴史を持つチェコの街を私は歩いた。『ひなぎく』が女の子達に勇気や元気を与えてくれる理由が少しわかった気がした。いつの世も女の子達は心の中で小さな反乱を起こす。そして颯爽と、悪戯に、スカートを揺らして街を歩くのだ! 1966年に製作された『ひなぎく』と私は同じ年。51歳になった私はもう女の子ではないけれど、今を生きる女の子達にも勇気と元気と反乱を胸に、颯爽と世の中を闊歩して欲しいと願っています。

 

岡崎京子(マンガ家)※1995年のコメント

2人の女の子。2人はこの世の無用の長物で余計ものである。そのことを2人は良く分かっている。役に立たない無力な少女達。だからこそ彼女達は笑う。おしゃれする、お化粧する、男達をだます、走る、ダンスする。遊ぶことだけが彼女達にできること。愉快なばか騒ぎと絶対に本当のことを言わないこと。それが彼女達の戦闘手段。やつらを「ぎゃふん」と言わせるための。死ネ死ネ死ネ死ネ!分かってるよ。私達だって「生きて」いるのよ。

 

矢川澄子(詩人)※2000年のコメント

〝ひなぎく〟のあたらしさ「美のためには食を拒んで死ぬことさえできる、おそるべき精神主義者たち」と、かつてわたしはある少女論にかこつけて書いた。少女にとって、この世にこわい権威は何もない。体制側のヤボなオジさんたちとは、はじめから完全にちがう倫理の下で生きているのだから。そう思いつつ二人のハチャメチャぶりを見ていると、最初と途中に出てくる「鉄」のイメージや終わり方がいかにも象徴的に思えてきた。それにしても六〇年代のさなか、こんな皮肉な映画がカーテンの向こう側で生まれていたとは。チェコの映画人のしたたかさに、あらためて脱帽させられる。

 

野宮真貴(ミュージシャン)※2000年のコメント

この映画のふたりの女の子は何だか涙が出るほど自由に生きている。可愛い服を着て、おいしいものをご馳走してもらって、ダンスをして、いつも笑って…。「ひなぎく」ほど悲しいくらい美しい映画は他にはないと思う。

 

鴻上尚史(劇作家・演出家)※2000年のコメント

彼女達は、無敵である。若く、美しく、スタイルがよく、センスがいい二人の女性に誰が勝つことができよう。だが、無敵である一番の理由は、彼女二人を、誰も理解していないことである。無敵であることの、なんと華やかなことか。そして、なんと淋しいことか。

 

ヴィヴィアン佐藤(美術家/ドラァグクイーン)※2000年のコメント

岡崎京子、ピチカート・ファイヴなど90年代日本の渋谷系ポップカルチャーの源流がどうして60年代のチェコにあるのかしら???  このいままで当たり前で不可思議だったことが、ようやく理解出来る時代になってきたのかもしれないわね。戦争や経済とかマッチョの裏側に湧き出る「カワイイ」の源流を遡行するピクニックに、そろそろ出発いたしましょうか。

 

まつゆう*(クリエイター/ブロガー)※2014年のコメント

可愛いと思わないところが見つけられない!レトロでロリータキュートな女の子の鉄板ムービー。

 

真魚八重子(映画評論家)※2014年のコメント

映画も、時代とともにテーマや演出が古びることはある。しかし『ひなぎく』だけはいつ見ても変わらぬ美貌で、いたずらっ子なまま存在し続ける映画だ。いま十代のお嬢さんたちには、是非本作に出会って斬新さに見とれてほしい。そして昔10代だった人たちも、この映画がいまだ乙女の瑞々しい可愛らしさを、傲慢なほど放っていることを妬んでほしい。永遠に散ることを知らぬ、アヴァンギャルドなひなぎくの花!